はづにっき

ぐーたらオタクの備忘録的日記

ひきこもごも

さんがにち、親戚の家や実家やあちこちまわって疲れた。

基本的にはいつも家に引きこもって自分以外の人間との交流をできるだけ避けて生きていきたいと思っているので、久しぶりに会う人間だと余計に、それが身内だろうが他人だろうが、顔を合わせる時は常に若干の緊張とストレスに苛まれている。

 

私の周りにいる人たちは私のことをコミュ障のオタクだと理解してくれているので、私の足らない部分や難アリな部分を分かった上で接してくれている。とてもありがたい。

久々に会った友達も、ぽつぽつ近況の話をしたくらいでゲームをし昼寝をし餃子を食べ、他愛のない時間を共有するだけであったが、とても心地良かった。

本当に周りの環境には恵まれていると思っている。多分、良い人ばかりのこの環境のおかげがあって私は、令和という元号をまたぐことになるまで生きてこれたのだと思う。

めんどいな、だるいな、と思いながらも誰かと一緒に過ごす時間は楽しくて大切で、家族や親戚や友達と会えるのが嬉しくて、「お風呂入るまでがダルい理論」で言うところの「行くまでが億劫だが行ってしまえば楽しめる」っていうやつなのである。

 

足らない自分だからこそ、自分だけでは生きられないということを人一倍とてもよく理解している。

それを踏まえた上でも、まだ、それでも私は、あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ホンマに一人最高〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜と思ってしまう。

 

自宅のお部屋で一人でいる時の姿を「やだ〜恥ずかしくて見せられないよ〜」という女子は多くいると思うが、実際マジでみせらんねぇよという格好でいる人はそんな多くないのでは?と思っている。

みんな少なからず服を着て、髪を結い、人としての尊厳を保っているのではないか。

 

夏だとほぼ裸一貫、冬だと毛玉のついた何年前から着ているか定かでない服で彼氏のトランクスを履き、分け目の定まらないボサボサの頭で、片方の鼻にティッシュを詰め(鼻炎のため)半開きの口でツイッターのタイムラインを眺めそのまま3時間経過した女の姿こそ、真の見せられない姿である。

もうでもねほんまにめっちゃ楽、人としてあるべき姿ではなくなってる、もといあるべき本来の姿に戻ってる瞬間が最高に幸せ。

完全なるスイッチオフ状態、これが生きていく上で絶対に必要不可欠。なくてはならぬ。

この「部屋にたった一人で完全なるオフ状態になる時間」を奪われたら死ぬ。

 

お正月から4日目の今日。やっとそれを与えられた今、Vtuberのゲーム配信を見ながらツイッターを眺め、勿論半裸で、あったかい電気カーペットをいれたオフトゥンから頭だけ出してこうしてブログをしたためている。最高。生きてるってかんじ。

この部屋だけが「世界」で、外の世界と隔絶されて自分だけがこの空間に存在してるような、曜日も時間もなるべく意識せず感覚をドロドロに溶かして惰眠を貪る。罪悪感ちょびっと、贅沢感ちょびっと、あと虚無、多幸感、あったかオフトゥン。これが最強。

 

今日はこのあと、お餅を食べてラーメンを食べて寝て起きたらガチャを引きます。最高。