頭の鳥
いつもの出勤途中の道端、曲がり角の植え込みに、鳥の羽根が散らかっている。ここは何故かよく鳥が捕食されているスポットだ。カラスか野良猫の仕業だろう。
道の端に、捕食者の食べ残しが落ちていて、それは小さな鳥の頭部だった。
頭から首の骨にかけて残され、そこから先は食べられたのであろう失っている。冷たい冬のアスファルトに、ぴったりとくっつくようにして落ちていた。種類はなんだろう、鳩か鵯か。
目を閉じて、少しだけ口を開け、それはとても穏やかな表情に見えた。なんだかきれいだなと思って、その鳥の頭をしばらく観察して、そういえば病原菌を野鳥が運んでくることをニュースで見たのを思い出して、その場を去った。
次の日も、頭の鳥は同じ場所にいた。
ビルの植え込みは普段からあまり掃除もされず、羽根も散らかったままで、頭上の電線からはカラスが黙ってこちらを見ている。
お前が食ったのか?と声をかけたが、無言でこちらを見下ろしたまま動かなかった。
頭だけの鳥は、道の端の人間が踏むか踏まないかのギリギリの位置で、眠っているような顔をしてひっそりと存在している。
私の他に誰か気付いているのだろうか、埋めてやった方がいいのだろうか、数秒ほど逡巡したが出勤の時間もあって、そのままにした。
それから頭の鳥は何日もずっと、雨の日は冷たそうに顔を濡らし、晴れた日はまた少し光を受けて眠たそうに、顔の周りの羽根はだんだんと少なくなって少しずつ白骨化しながら、そこにいた。私は毎朝なんとなく、本当になんとなく目配せだけで挨拶をしていた。
雪が降った朝。積雪20センチはあるだろうとニュースで聞いたが、出勤の頃には解けかかっていた。
曲がり角の植え込みの向こう、日陰に雪がまだ残っている。いつもの場所は、ビルの日陰になっていて降り積もった雪で真っ白だ。
植え込みに引っかかっていた羽根の少し大きな一枚を拾って、頭の鳥のいた辺りの雪をサッサッと優しく払ってみる。
雪の下から、きれいに閉じられた目と半開きの嘴が覗いたのを見て、小さく「…いた。」と呟きが漏れた。
出勤して手を洗った。ハンドソープの泡を洗い流しながら、翅先で鳥の頭蓋を撫でた時の感触を思い出していた。
頭の鳥のことを、なんとなく書いておこうと思った。あんまり意味のない日記をつけて、読み返すのもいいかなって。
そのうち頭の鳥は私の夢に出てきて、囀り出すかもしれない。鳥のきれいな横顔が私の死顔に見えるようになるかもしれない。ある日突然きれいに掃除されて無くなっているかもしれない。最初からそんなもの無かったのかもしれない。私にしか見えていないのかもしれない。私の頭の中だけにある頭の鳥。もし夢に出てきて、頭を埋めてくれと言われたら、その時は埋めようと思う。
モルカー見た?
みて!!!!!!!!!!!!!!!!
おばあちゃんにモルカー布教してきた
— はづき (@haduki_0723) 2021年1月14日
モルカーとキャンプに行く夢が見たい
— はづき (@haduki_0723) 2021年1月14日
モルカーは意思があることから生物と言っても過言ではないが、同時に車としての機能を備えていることから道具であるとも言える、ということはモルカーは自由意志がありながら道具として人間と共にあることに意義を感じているのではないか?そのことからモルカーとしての幸せとは人類と共存するこ文字数
— はづき (@haduki_0723) 2021年1月14日
モルカーってお前は自由だよ…と野に放ってもプイプイ言いながら人間のとこに戻ってきそうなの、道具としての意義は使ってもらうことにあるというのを本能的にわかってそうで、車と生き物のハイブリッドとしての生き方というか、そのへんが見る人の心を動かし愛くるしさを増幅させている気がしている
— はづき (@haduki_0723) 2021年1月14日
最近モルカーのことばかり呟くヤバアカウントと化している
PUI PUI モルカーとは、毎週火曜日あさ7:30からテレビ東京系で放送中の、かわいいモルモットが車になっちゃった世界で繰り広げられるモルカーたちのわくわくびくびく大冒険だよ!
既にタイムラインのオタクたちから異常な熱量で推されている、2分ちょいのストップモーションを使ったアニメーションです。
主人公?のモルカーは羊毛フェルトで作られたぬいぐるみのような可愛い生き物。車種によってさまざまな見た目や性格がある。
ニャッキとかピングーとかストップモーションアニメ大好きマンこと私に、彗星の如く現れた今期覇権アニメ…タイムラインは瞬く間にモルカーで埋まり、ファンアートを漁る手が止まらず体感10分は3時間に拡張されていた。
なんかこう…いま…これをこういう気持ちで楽しめるのは今…今さ…きっと……みたいな感じになっているのでビッグウェーブに飲まれるままに身をまかそうと思っているよ。
TLのオタクの深読みツイート見ながらモルカー見るのが今の生きてる楽しみの中でいちばん楽しいです。
まどマギ10周年
ってマ???????????
ヒィン…
https://twitter.com/madoka_magica/status/1346833906213928960?s=21
TV放送版が終わって、映画の前編後編があって、叛逆があって、まどマギ展に行って、シャフト展にも行って、こんなにハマったコンテンツは過去に無いんじゃないかってほど好きになったアニメのひとつです。
関西最速だったから実況スレに張り付いて、考察スレに入り浸って、最終話直前に延期したのも、新聞の一面に広告が載ったのも、叛逆の映画初日に見に行ってチケットの列に並んでいたとき同時期に上映していたプリキュアを見に来たのであろう女の子に「おとーしゃんみんなぷいちゅあみにきたのぉ?」と指を刺されたのも、昨日のことのように思い出せます……。
魔法少女まどか☆マギカについて語ろうとすると、多分まる5日は必要になるので、今日はおとなしく久々に叛逆のBD引っ張り出して鑑賞することにしますね。
ちなみにワイはほむらちゃんが大好きです。
Vtuberにハマっている
ので、テーマにして書きたいなって、ずっと思っていたんだけど、もうハマってそろそろ2年ほどになるので知り始めた初期よりVtuber総数はえらいことになるし、推しは増えるし、もうどこから何をどうすればいいかぐちゃぐちゃになって分からん!ってなったのでもうとにかく思いつく限り思いの丈を書き殴ることにしたよ。
初めて見たのは「のじゃおじ」こと「バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん」でした。
狐耳ロリっ娘の可愛いアバターから垂れ流されるおじさんの声、可愛い…おじさん…可愛い…おじさん…かわ…おじ…脳がオーバーヒートした。
新しいようで昔からあるような願望の具現化?おじさんだって可愛い女の子になりたい!時代が追いついたとはまさにこのことか?これでいいのか?いいんじゃね多分!みたいな気持ちになったね。なるようになってんな人類。
ただ物珍しさから観察していた「Vtuber」という存在は、にじさんじ所属バーチャルライバー月ノ美兎との出会いで、私の中で加速していく。
委員長を最初に見たのは雑談枠。趣味が尖ってていいなぁ学校にいたらお友達になりたいなぁみたいな気持ちだったんだけど、とにかく企画力がすごくて、何かを細かく仕込んだりエンターテイメント性の高いことを突き詰めて、チョイスやセンスが良くて、どっかニッチなのにたくさんの人が楽しめるようなことをどんどん思い付いてて、頭が良くてフットワーク軽くてとにかくすげぇな〜〜〜って思って好きになった。話の幅も広い。とにかくいろんなことをしている、自分の経験をそのままコンテンツにできる人は強い。Vtuberってパソコンの前でゲームしたり喋ってるだけじゃなくて、この人みたいに色々なことに興味持って実際動いて自分から色んな場所に飛び込んでいけるようなアクティブな人がやると、こんなに楽しいことが出来るんだって、この人のやることをこれからもずっと見ていたいって思った最初の人だった。
ところで、この界隈ではよく言われる「Vtuberって所謂ニコニコ生放送とかにいた生主が二次元の可愛い皮被ってるだけじゃね?」という意見について、まーそうじゃね?というスタンスである。
生主がなんちゃら、みたいなの正直よく分からんというか、その頃私はそっちのコンテンツに疎くて片足のつま先くらいしか理解がなかった。ので、今このVtuberというものにガッツリハマっているものと思われる。
昔からゲーム実況は見てたし、誰かがゲームしたり歌うたったり雑談したりみたいなのを聴くのはわりと好きな方だったし、ハマる下地はあったのだがなんかスルーしてて、今になっておもすれー!してるだけなので「失った時間を取り戻してる」感じ。元々ハマる予定だったコンテンツを今になって掘り返してハマってる人とそんなに大差ない。
生身の人間にあんまり興味ないので、二次元のガワ被ってくれてるほうがこちらとて見やすくて有難い。まさにうってつけだった。
月ノ美兎さんこと委員長にハマってからズルズルと同じ箱の人たちにハマり、コラボで知らなかった人を知りハマり、個人勢にも手を出し、さらにコラボで裾野が広がり、あれよあれよと…怖い…やだ怖いこのコンテンツ…。
何年か前に大好きなコンテンツにハマりまくりそれが突然瓦解してぐちゃぐちゃになってからというもの、何かにハマって情熱を傾けることにトラウマ?虚しさ?恐怖心?みたいな、どんだけ好きになっても無くなってしまう時はあっけないんだ…という気持ちで、何かに情熱を注ぐこと自体に虚無を感じるようになってしまったのです。が、今また少し熱をあげてしまっているのがこのVtuberというコンテンツです。
Vが増え始めた当初、「炎上しない」とかってメリットあげてた自称有識者みたいなのいたけど、そんなわけねーだろ中身は人間だぞ、と思っていたので、そういう方面に関しては特にあまりショックとか心を乱されたりとかはないんだけど、やっぱ推しが引退すると若干心にくるものがありますね…というお気持ちです。
Vtuberの前世とか魂関連の話は、本人とか周りがノータッチでいて欲しいって暗黙の了解っぽい感じだと特に触れる気はないけど、知ったとて特に何も思うこともなく、なんなら前世の活動とか知れるならまるごと知りたいなってスタンス。転生もめちゃウェルカム、嬉しい。
Vtuberというキャラクターなのか生身なのか扱いの難しいコンテンツだけど、推しが楽しそうに活動して喋って笑ってるのを見ているだけで幸せな気持ちになれるので、幸せならオッケーです!という感じで見ている。
推しがやりたいことが出来たり、夢が叶ったりしてニコニコ輝いている瞬間を見ていると、生きる気力が湧いてきますね…。
好きなVtuberさんは月ノ美兎さん、夢月ロアちゃん、本間ひまわりさん、でびでびでびる様、鈴原るるちゃん、ニュイ・ソシエールさんあたりです…叶くん、葛葉さん、ジョー・力一さん、三枝明那くん、黛灰くんあたりも好きです…雑にいろんな人見てるから時間が足りんよ。
1人ずつ書き始めると収集つかなくなるから、また好きな動画とか貼っとくね…
やっぱ書ききれない…ぐちゃぐちゃになる…ここでは何かを論じたり分析したりせずに、なんか頭の中にあるぐちゃぐちゃを置いとく場所みたいな感じで使う方向性で…
論文風とか分析考察も好きだけど、自分ではあんまり上手くできる気がしない…
とにかく今っていうかここ何年かはVtuberよく見てます、楽しいです。推しがいる生活はいいぞ。
あけまし
去年3回も書いてる?!?!?!?!
えらくない!?????!???
今年はもうなに書こうかな〜って悩む前に脳死でこのページ開いてとりあえず思ってること書き留めとけたら良いなと思って今書き始めている次第でございます。脊髄反射ブログめざす。
あけましておめでとうございます明日から仕事です今すぐ消えてなくなりたいです。
希死念慮、って言葉を知ったのは多分ちょうど中学生頃だった気がする。年相応に、めっちゃかっけぇ!字も響きも!最高!って思ったし、自分の心ん中にずーっとある「めっちゃ楽しくても愛されてても幸せな気持ちになっても根底には漠然とした死にたい消えてなくなりたいって気持ちが常にある状態」の正体を、やっと突き止められたんだ…これかぁ〜…と思った。
人間って不思議で、よくわかんないモヤモヤの正体を言語化することで精神が安定することもあるらしい。私は常にこれなので、今も自分の不安や悩みやモヤモヤをこうして文章にして読み返し、自分で反芻することで精神的に安定する傾向にある。
そこそこ幸せで、学校に通えて、好きな人もいて、なのにどうして死にたい気持ちが無くならないんだろう?って、罪悪感にも似た気持ちに苛まれていた時に「希死念慮」って言葉があるんだって〜っていうことを知れただけで、あぁこの気持ちは言語化できるんだ4文字熟語みたいな名前のついてる感情なんだ…と思えたら、なぜか楽になれた。
結局たぶん生きてる間ずっと私の中から無くならないんだろうと思っているけど、名前のあるものになったので、前よりは恐怖や不安がなくなって普通に持ち続けながら生きられる程度にはなった気がする。
同じように、幼い頃に「なんか目の前の天井が近くなったり際限なく遠くなったり、掛け布団がめちゃくちゃ巨大化したり重くなったり、逆に綿より軽くなったりする」「夢で白黒のタイヤがどんどん坂道から転がってきて、それがノイズ音のようにぐちゃぐちゃな音を立ててたかと思うと無音になったり、ペンでぐちゃぐちゃに引いた線がものすごい速さで動きながら近づいたりスローモーションになって離れたりする」みたいな、なかなかに言語化できない現象?夢?に襲われてた頃があって、大きくなってから「不思議の国のアリス症候群」とかいうめちゃくちゃオタクが大喜びしそうな名前ついてたのには、ドチャクソに興奮した。
言語化できないものに名前がついてるとちょっと安心する、って話でした。
中身だけ見たら正月から若干暗い話で草。
風呂入って寝る〜おやしゅみ。
ラーメンズ
ラーメンズの小林賢太郎氏が、パフォーマーの肩書きを外した、という記事を目にした。
あぁ事実上のラーメンズ解散だな、生きていればこんな日が来るとは思っていたよ、と頭の中では理解したんだけども体は正直で膝から崩れ落ちた。
相方の片桐仁氏のコメントは、今までの感謝の気持ちと、これからを応援しているとのことであった。
いつどこで知ったかもう思い出せないが、NHKの「爆笑オンエアバトル」で、なんだかこのコンビだけ微妙に毛色が違うんだけどめっちゃ気になるな…と思って見ていたのが、一番古い記憶のような気がする。
TSUTAYAでDVDを借りて、公演を見た。
舞台の上には基本的に立方体しかない。とてつもなくシンプルな、黒く四角い殺風景な場所から様々なキャラクターを生み出す二人に魅了された。お笑いのコントと演劇は何が違うのか?という疑問が初めて湧いた。
初見のファーストインパクトは完全に片桐仁に持っていかれた。しかしやがて片桐仁というクソデカ存在をいかに魅せるかという技法において天才的な小林賢太郎を、尊敬の眼差しで見るようになっていた。
笑いのツボというのは本当に人それぞれで、そのことを多少はわかっているつもりだったので、おいそれと他人に「これおもしれーんだ!!」とオススメするようなことは苦手だった。
それなのに私はラーメンズをめちゃくちゃ友達にオススメした。キモかったと思う。でもそのおかげで笑いのツボに共感してくれる友達を見つけられたりもした。
人生で初めてDVDBOXを買い、人生で初めて他人に布教活動みたいなことをして、めちゃくちゃ好きだったのに、しかし人生で一度も生でコントを見ることは叶わなかった。
ラーメンズの数あるコントの中でも「器用で不器用な男と不器用で器用な男」というコントがとくに好きです。
それから、ラーメンズ、バナナマン、おぎやはぎが同じ舞台でコントを演じた「君の席」というやつめちゃくちゃ面白かったです。もうこの最高な人たちが揃うことはないのだと思うと残念で仕方ありませんが、仕方ありませんね。
小林賢太郎氏は、これからきっと脚本やその他のクリエイティブで活躍することだろう。
新しい何かを生み出してくれる限りは、それを楽しみに生きていける。
最近、何かの始まりと、何かの終わりに立ち会うことができた時に「生きてて良かった」と思うことが多い。
寂しいけど、好きなものがなくなる瞬間に立ち会うこともまた良いものだと、きっともう少し時間が経てばそう思えるようになる日が来る。
しかし今日の心境としては…
推しは推せるときに推せ。
この言葉を噛み締めました。
久しぶりにショックなことがあったので、この気持ちをどこかに残しておこうとブログを書いたんだけど今年3回も書いてんじゃん??
自分的には多い方だが、来年はもっとがんばります。
書きたいこと箇条書きにしといたら覚えておけるかな?思いつくやつ書いとこう。
総括Vtuber(2020年内には書きたいテーマ)
メイドインアビス について
ホットサンドメーカーのやばさ
インターステラーという映画
風呂に入ってる時考えること
令和のひぐらしはカナカナとなくか
近所の野良猫について思うこと
ワイ氏、ものなくしすぎ問題
2020年もまだまどほむのこと考えてる
花屋に来るヤバ客
ドキドキ文芸部というゲーム
テレビでYouTubeしか見とらん話
クトゥルフモチーフのアクセが作りたい
こ…こんなかんじで書きたいことが溜まってるんだけど、文章にするのむずかしすぎるからだんだん、書くね…
もしこの文章をここまで読んでくれた人がいて、上記になんか気になるトピックがあれば教えてくだちい…
今日は久しぶりにすき家の牛丼を食べようと思います。
ひきこもごも
さんがにち、親戚の家や実家やあちこちまわって疲れた。
基本的にはいつも家に引きこもって自分以外の人間との交流をできるだけ避けて生きていきたいと思っているので、久しぶりに会う人間だと余計に、それが身内だろうが他人だろうが、顔を合わせる時は常に若干の緊張とストレスに苛まれている。
私の周りにいる人たちは私のことをコミュ障のオタクだと理解してくれているので、私の足らない部分や難アリな部分を分かった上で接してくれている。とてもありがたい。
久々に会った友達も、ぽつぽつ近況の話をしたくらいでゲームをし昼寝をし餃子を食べ、他愛のない時間を共有するだけであったが、とても心地良かった。
本当に周りの環境には恵まれていると思っている。多分、良い人ばかりのこの環境のおかげがあって私は、令和という元号をまたぐことになるまで生きてこれたのだと思う。
めんどいな、だるいな、と思いながらも誰かと一緒に過ごす時間は楽しくて大切で、家族や親戚や友達と会えるのが嬉しくて、「お風呂入るまでがダルい理論」で言うところの「行くまでが億劫だが行ってしまえば楽しめる」っていうやつなのである。
足らない自分だからこそ、自分だけでは生きられないということを人一倍とてもよく理解している。
それを踏まえた上でも、まだ、それでも私は、あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ホンマに一人最高〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜と思ってしまう。
自宅のお部屋で一人でいる時の姿を「やだ〜恥ずかしくて見せられないよ〜」という女子は多くいると思うが、実際マジでみせらんねぇよという格好でいる人はそんな多くないのでは?と思っている。
みんな少なからず服を着て、髪を結い、人としての尊厳を保っているのではないか。
夏だとほぼ裸一貫、冬だと毛玉のついた何年前から着ているか定かでない服で彼氏のトランクスを履き、分け目の定まらないボサボサの頭で、片方の鼻にティッシュを詰め(鼻炎のため)半開きの口でツイッターのタイムラインを眺めそのまま3時間経過した女の姿こそ、真の見せられない姿である。
もうでもねほんまにめっちゃ楽、人としてあるべき姿ではなくなってる、もといあるべき本来の姿に戻ってる瞬間が最高に幸せ。
完全なるスイッチオフ状態、これが生きていく上で絶対に必要不可欠。なくてはならぬ。
この「部屋にたった一人で完全なるオフ状態になる時間」を奪われたら死ぬ。
お正月から4日目の今日。やっとそれを与えられた今、Vtuberのゲーム配信を見ながらツイッターを眺め、勿論半裸で、あったかい電気カーペットをいれたオフトゥンから頭だけ出してこうしてブログをしたためている。最高。生きてるってかんじ。
この部屋だけが「世界」で、外の世界と隔絶されて自分だけがこの空間に存在してるような、曜日も時間もなるべく意識せず感覚をドロドロに溶かして惰眠を貪る。罪悪感ちょびっと、贅沢感ちょびっと、あと虚無、多幸感、あったかオフトゥン。これが最強。
今日はこのあと、お餅を食べてラーメンを食べて寝て起きたらガチャを引きます。最高。